プロフィール

現役職
左京消防団川東分団部長、原発ゼロをめざす左京の会世話人、京都左京健康友の会南生健会支部役員、日中友好協会京都府連理事、党左京地区委員
住所
〒606-8382
京都市左京区夷川通り大文字町166-1
電話
075-771-7847
生年月日
1975年(昭和50年)1月19日生まれ

おいたち

1975年、京都市に生まれる(0歳)

 1975年1月19日、加茂川沿いにある富田病院にて誕生。共働き家庭に生まれる。船岡乳児保育園・大徳寺保育園紫竹小学校をへて、加茂川中学校を卒業。小学生の頃の夢は、動物園の飼育係になること。中学では水泳部に所属。

1990年、京都府立朱雀高校に入学(15歳)

 1990年、京都府立朱雀高校に入学。陸上部(長距離)に所属。学友会会長としても活躍。京都高校生春季討論集会にも実行委員として参加。高校2年の秋、日本民主青年同盟(民青同盟)に加盟。

※写真・・・高校三年生のとき、春季討論集会で『憲法と平和』の分科会で司会する私。実はこのとき、加藤あい市議(当時、高2)も同じ分科会に参加していた。

1993年、同志社大学・経済学部に入学(18歳)

 1993年、同志社大学経済学部に入学。大学生協学生委員会(雑誌『東と西と』編集委員)と、『資本論』を学ぶサークルに所属。資本主義が物質的豊かさをもたらす一方で、人々の幸福を破壊してまでも暴走する理由を学ぶ。また、学生自治会が一人握りの暴力学生に私物化され、執行部と意見の違うものを自治会選挙から排除するという異常事態に直面し、民主的な自治会運営をもとめる運動に参加。あまりの深刻な事態に京都弁護士会も調査に入り、「看過しえない人権侵害がある」と指摘。自治会が機能不全におちいるなか、ベンチの設置や経済学部1・2年次における少人数授業の導入などを大学当局に要求。卒業後に掲げた要求が次々実現。震災ボランティア、薬害エイズの闘い、学費値下げもとめる国会要請などの運動にも参加。濃厚な大学4年間を過ごす。

1997年、庶民の味方・日本共産党に就職(22歳)

 庶民をいためつける自民党政治の根本的転換を掲げる日本共産党を草の根から強くしていこう決意し、日本共産党に就職。京都左京赤旗出張所所長、党・左京地区常任委員・青年学生部長など歴任。アジア友好の立場から歴史教科書問題に取り組む市民運動(心をつなぐネットワーク事務局長)にもかかわる。山本正志市議の後継ぎとして市議選への立候補を決意。

2007年4月、京都市会議員に初当選(32歳)

 左京区定数9を15名で争う激戦の中、4096票・8位で当選。 「どうして受け取る年金が毎年減っているのに、天引きされる介護保険料が値上がりするのか。これでは生活できない。なんとかしてほしい」「私の父親も過労死したんです。労働者を使い捨てにする社会は変えるために、がんばってほしい」・・・たくさんの思いが寄せられた選挙でした。

2011年4月、京都市会議員に再選(36歳)

 1か月前(3/11)起きた東日本大震災の直後に行われた選挙。左京区定数9を12名で争う激戦の中、3783票・9位で当選(次点候補と58票差)。1歳になる子どもを育てる父親として、災害や経済的な事情によって人の命が脅かされる世の中であってはならないと、消防力の確保と子どもの医療費小学校卒業までの無料化・国民健康保険料値下げなどを訴え。
 再選後は、開発から「哲学の道」の自然と景観を守り、大文字山山腹崩壊対策など土砂災害対策などで実績を上げるとともに、不要不急の北泉橋建設に反対・緊急性の高い河合橋改修を要求、左京南部に支所設置を求めるなど、住民が主役の立場から議会内外で広範な住民と力を合わせ奮闘。

2015年4月 再選ならず

 議員定数が9から8へと削減されたもとで行われた大激戦で、9位・3814票の得票を得ながらも11票差で議席には及ばず。議員バッチはなくとも、2期8年の市議としての活動で得た経験や知識を生かし、引き続き、住民が主役の立場で一政治家として全力を尽くす決意を新たに活動を再開している。

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議員近影

略歴

1975年

1月19日生まれ

1987年

加茂川中学校

1990年

府立朱雀高校

1993年

同志社大学
経済学部(97卒)

1997年

しんぶん赤旗左京
出張所長

2004年

京都市ごみ減量
推進委員

2006年

左京消防団
川東分団入団

2007年

市会議員初当選
(2期目)

2012年

交通水道消防
副委員長

2013年

市会運営委員会
委員

日中友好協会
京都府連理事

2014年

経済総務委員長

京都信用保証協会
理事