わが家の雑記帳

「帰らんといて」 2015.1.7

雑記帳・「帰らんといて」

 「おとうちゃん、帰らんといて」――私が外に出かけようとすると、次女が必ず言うようになりました。さすがに長女は、「お父ちゃんは今から出かけはんの。帰るんと違う」と訂正してくれます。しかし、父としてはつらいものがあります。

年末の衆議院総選挙、選挙後再開さいた市議会での審議・対応。消防団の年末特別警戒やいろいろな会合・取り組みへの参加。元旦から祇園石段下宣伝・・・。と、子どもたちと一日一緒にすごせたのは大晦日ぐらいでしたので冒頭の次女の言葉はある意味あたっています。その言葉を聞いて以来、わずかでも一緒にすごせるようにこれまで以上に努力をしています。

 いよいよ四月には府議・市議を選びなおす「全国いっせい地方選挙」が行われます。住民の暮らしの願いをまっすぐと議会へ届ける議員としても、消費増税などで地域の営みを破壊してきた安倍政権に対し痛烈な地方からの審判を下すため、全力で頑張ります。(とがし豊議会報告2015年1月7日号掲載)

(更新日:2015年02月16日)

「父と子」 2015.2.1

 

 事務所開きの夜、帰宅すると、いきなり長女が「お父ちゃんのお父ちゃんが死んだこと知っているで」と声をかけてきました。事情にて事務所開きに参加できなかった長女(五歳)ですが、どうも、そのときの私の挨拶の中身を家族から聞いたようです。「私の父は四十八歳で世を去りました。働きすぎがたたって命を縮めてしまったのです。会社というよりも業界のブラックぶりこそが問題であり、それを変えるのが政治。過労死をおしつける安倍政権の残業代ゼロ法案の動きと闘わなければ」。私はこの一月で四十歳になりましたがあと八年で父の年齢を越えます。長女と話しながら感慨深いものがありました。父は公共事業を担う民間技術者でしたが、今でも子どもながらに聞いた言葉が議会活動で生きることもあります。人間の一生は短くても、こうやってつながっていくと思えば、なんとすばらしいことか。社会進歩を目指す努力は必ず未来に生きる。子どもたちに誇れる人生を貫くべく、四月にむけ全力を尽くします。(とがし豊議会報告2015年2月1日号掲載)

(更新日:2015年02月16日)